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はじめまして。
15年間続けてきた養護教諭を昨年度末で退職したMinaと申します!
本日は、私の自己紹介をしていきたいと思います。
🌱大学時代🌱

大学は、心理系の大学に通っていました。
1年の頃は座学ばかり。。。そして、色々な地域から集まってくるため個性豊かなクラスメイトたち。
自分が思い描いていた大学生活とはちょっと違い、初めの半年ほどは「あー選択間違えてしまったかな❓」と思い悩むこともありました。
しかし、少しずつ大学のシステムにも慣れ、勉強も実践が増えていき、気の合う友達との交友関係も広がっていきました。その結果、段々と大学生活を楽しむことができるようになっていきました。
大学4年生になり、この年の教員採用試験は不合格。
臨時採用を登録し、採用の話がないまま卒業式を迎えたのでありました。
🌱臨時採用時代🌱

4月1日。結局臨時採用の話は来ないままこの日を迎えました。
TVでは、「入社式」の映像が流れます。
そのTVを実家で見て、『あー置いていかれてるな。』と感じました。
『学童の先生』と『適応指導教室のスタッフ(不登校の子を対象にしたフリースクール)』で非常勤で働いていた私。それなりに充実した毎日を過ごしていました。
そんな時突然、大学の先生から連絡があり、臨時採用の話が舞い込んできます。
実家から300km離れた所でしたが、返事は「もちろん行きます!!」。ついに養護教諭としてデビューすることができるようになりました。
❣️最果ての地の小学校で養護教諭デビュー
北の大地の果ての果て。それも極寒の10月から3月の半年間のみの期限付きで養護教諭として働くことになりました。
子どもたちが本当に純粋で素直で。
そして先生たちが凄く良くしてくれて。若い先生も多かったので、たくさん誘ってくれて、気にかけてくれて。
ホームシックになっていた私は、子どもと先生方に救われていました。
そう。あの年は、日本に突如やってきた『新型インフルエンザ』で大パニックになっていた年でした。
いつ、自分の学校にもインフルエンザに感染する子が出てくるのだろうと怯えながら、1日に何回も校内を消毒していました。おそらく、廊下は10度を下回っていましたが、上着を着込んで必死に消毒作業をしていました。
任期満了を迎え、「島になら養護教諭の臨時採用があるんだけど❓」と打診されましたが、教員採用試験を優先してお断りさせていただきました。
❣️旦那との出会いも。農業高校で養護教諭デビュー
教員採用試験の1次試験が終わるころにちょうど、次は実家から300km違う方向に離れた農業高校での臨時採用の話が降りてきます。
返答は、『もちろん行きます!』。
農業高校では、底抜けに明るい子たちやヤンキー風のような子たちに囲まれて楽しく過ごしました。
でもね、色々な事情を抱えながら生活している子が多かったかな。まだまだ未熟な私は、具体的な支援を考えるというよりも、寄り添って話を聞くことくらいしかできませんでした。
その年、まさかまさかの合格の知らせが。
本当にしばらくは信じられませんでした。
🌱正採用時代🌱

❣️とにかく可愛い。小学校に勤めた10年間。
とにかくとにかく子どもたちが可愛くて、地域の保護者も温かい初任校時代でした。
だた、職員室の雰囲気がすっっっっぶる悪かった!
保健室で逃げるようにして仕事をしていました。
でも、良くも悪くも学校は人の入れ替わりが激しいです。翌年から、職員室の雰囲気が徐々に良くなってきました。
学校では、保健指導に取り組んだり保健だよりや掲示物に力を注いでいました。
この学校に在籍している際に3人出産したため、在籍期間が10年間という長老様のポジションとなりました。
❣️多感な中学生と本気で関わった3年間。
希望は小学校だったのですが、働きたい地域を限定していたので中学校勤務になることに。
中学校の子達は「オラオラしている子」「繊細な子」「支援が必要な子」本当に色々な子がいました。
初めはそんな子どもたちにどう関わっていったらいいかな❓と自分自身も悩みました。
でも子どもとの関わりよりも、保健室で大切にしたいポイントと担任の先生方が大切にしたいポイントが合致しないことも多かったので、そこを擦り合わせていくことが1番大変だったかもしれません。
中学生は必死に生きています。ギリギリの精神状態で必死に頑張っています。
私も養護教諭として本気で関わっていきました。
🎩退職することに🎩
そして、かくかくしかじかあって退職することに。(その話はおいおい。)
自分のライフステージも変化しながらの15年間は、毎日毎日が『必死』で『本気で』充実していた日々っだったと心から思います。
自分の人生のフェーズ1終了!!
フェーズ2はどんな未来になってくのかな。健康第一に、誰かの役に立てるような未来を目指して頑張ります✨
ご覧いただきありがとうございました☘️